てんぷるらいふ

天パが綴るシンプルにテンパるブログ。

【言葉】語彙力増大ほどオリジナリティを失う事は無いという矛盾

どうも、ぽりまです。

蘚苔類学部も設けまして、行動力も僅かに芽生えてきました。

苔ブロガー() と名乗りつつ、苔を題材にしないあたりが読者をバカにしていますね。我ながらそう思います。検索に引っかかって御免。

 

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語彙力

それは独創性を高めるための材料とも言うべき言の葉の数々を、どれだけ我が物としているか。それを示す力です。

僕自身(あれ?いっつも一人称「僕」だったっけ?)、語彙力が希薄です。読書は好きですが、好きな著者に偏りがある事と、一つ一つの言葉の意味を深く汲み取ってないので、中々語彙は伸びません。

語彙力がある人って話してて面白いですよね。表現に厚みがある。重圧で、押し付けがましい厚みではなく、幾層にも重なった歯ごたえのある厚み。ミルフィーユみたいな。

 

極論、語彙=受け売り

ヒトは「悲しい」という感情にも何百種類という表現を持たせます。それはそれぞれ微かにその感情に差異があるからです。語彙力のあるヒトはその僅かな差の表現方法を知っているので、聞き手としても明確な思考が読み取れるんですよね。「あぁこの人、今こんなこと思ってるんだ」なるほどなるほど。

でも語彙力って、早くて母親の腹の中にいる時から聞く”誰かの言葉の記憶”なんですよね。お母さんが「ほ~ら、ミルクだよ~」って言うのを何度も聞いて「ミルク」とは何か知る。人生の中でその積み重ねが現在のあなたの語彙を形成している、と言っても過言ではなさそうです。

そして「ミルク」という言葉も母親が作った言葉でない訳です。それは母が、母の母から聞いた言葉であり、母の母も、母の母の母から聞いた言葉なのです...。

そうやって辿っていくと誰かが、牛の乳を「milk」って言い定めたのかも知れません。それがどんぶらこどんぶらこ、今の今まで流れ着いて、粉ミルクも牛乳も母乳も全部一括りに「ミルク」って言うようになった。うん、なんか「ミルク、ミルク」って変態みたいだな。

 

真のオリジナリティとは...

つまり何が言いたいかって、語源が他人にある限り、そこにオリジナリティは存在しないという事。ヒトが誕生してから十数万年。森羅万象に「呼び名」と「意味」が与えられました。そうしてできた言葉を使っている限り、真のオリジナリティは皆無であるわけです。

その点、2ちゃんねらーやJKは毎日のように造語を量産していて、ある意味、神です(造語の大半は既存言語の混ぜ合わせですが...)。

語彙力を増やす事は、現代社会において正確に事象を表せる点で強みですが、哲学的(?)、原理的(?)に言えば、独創性を墓地送りにしている状態です。

 

真の独創性を我が物にしたければ、誰も言い表した事のないモノに「呼び名」と「意味」を与えるのです。そうして非言語主義者と思われて世界から隔絶されるがいい。なお、私は責任を負いません。※1

 

※1 一人称が迷子