【バドミントン】指導者って必要?
どうも、ぽりまです。
僕はバドミントン部に所属しています。
そこでキャプテンなんかをやらさせてもらっていますが、うちの部にはコーチ、いわゆる指導者が付いていません。
やっぱり、居ると居ないじゃ違うかなー。
いつも体育館隣で活動しているハンドボール部には貫禄ある年配コーチが付いていて羨ましい限りです。
この前、部活帰りの電車内で酒臭いおっさん(身なりはきちんとしていた)と出会いました。
「バドミントンやってるのか?」
「ええ、部活動でやってます」
「俺も社会人クラブに入ってたんだ!!!」
「へー、そうなんですか!」
と、ここで延々他愛もない話をする。
「実は部に指導者が居なくて…誰か、おじさんの様な経験者が付いて頂けないかなー、なんて笑」
「指導者がいれば勝てるのか?」
おっさんの口調が一瞬強まる。
「必要なのは指導者じゃなく、『アイツには負けたくない』っていう気持ちじゃないのか?」
凄く考えさせられました。勿論、そんなコト当たり前だとは思いつつも、ただ酒臭いおっさんの本当に言いたい事、その真意が気になりました。
僕が欲しがっていた指導者は受動的な、あくまで外から叱ってくれる存在。おっさんが言うのは能動的な、自分自身を律する内面の指導者。つまり精神的なもの。
悔しさ、楽しさ、焦燥にも似た期待や喜びにも似た不安。それらこそ一人一人の内側に存在する指導者なんじゃないか。
なーんてコトを考えさせられました。
おっさん(世間一般的にそう呼ばれる歳の人間)は時に若者に教訓を授ける。おっさんの話は聞こう。